【第2弾】岸浩子さま(聞き手:曽根原和花)


小友町にお住まいの岸浩子さん(写真:ご自宅でインタビューを受ける様子)

― 関わり方が分からなかった ―

震災前までは、幼稚園教諭を35年間していました。震災後、幼稚園・保育所の子供たちはこども園に移動し、そのこども園で3年間勤め、2014年に退職しました。
退職後、自分に何ができるのだろうと模索していたところ、市内に様々な木(ハナミズキや松など)を植える活動をしている団体を見つけ、お手伝いをしていました。また、シルバーの子育て支援班に所属してみたものの、子供が少ないので活動の機会はそう多くありません。

その後、桜ライン311のスタッフさんがテレビに出演していたのを拝見し、その番組の中で「末代までつながるように桜を植えていきたい」と言っていて、とても共感したことを覚えています。
それ以降、桜ライン311についての情報はあったものの、どう関わったらいいのかが分からず、ずっとつながる機会をうかがっていました。2017年11月、住田町で「森のマイスター」というイベントがあり、代表の岡本さんが講演されると聞き、そのイベントに参加することでようやく関わりを持つことができました。
講演の中で「高田市民にも植樹活動を定着させたい」「震災で身近な人を亡くした方々にとって、心の痛みに触れることになるので、進みたいけど進めない」と仰っていたのが、とても印象に残っています。

地元住民として桜ライン311とどう関わっていったらいいのかを、その場で岡本さんに直接お聞きし、2018年3月の植樹会に参加しました。

植樹会当日は、いくつかのチームに分かれて植樹をし、その後に交流会という流れでした。個人で参加する方もいれば、複数で参加する企業の方もいて、皆さん日本各地からわざわざ高田までお越しくださっていました。
交流会は自由参加だったのですが、私は皆さんがどのような想いでお越しくださっているのかを知りたかったので、参加しました。一人ひとりが植樹会参加への想いを語ったのですが、皆さんの想いが溢れて時間が足りないくらいでした。地元住民として皆さんの高田への熱い想いに触れることができ、とても嬉しかったです。

その時に同じチームだった方々とは、グループLINEを作って今でも連絡を取り合っています。他県からの参加者が多かったため、私は植樹した桜の成長を報告しています。また、福島でボランティア活動をしていらっしゃる方がいて、私も福島に行ってみたかったので、いつか一緒に行きたいと思っています。

 

― もっと、関わりの場を ―

桜ライン311から地元の人たちへ、関わりの場についての情報発信を、もっと増やしていって欲しいです。

これまで、スタッフさんの「何とかしたい」という熱い想いを見聞きする機会はたくさんありましたが、私が植樹会で感じたのは、地元の人の参加が少ないということです。地元の人たちは、桜ライン311の存在を既に知っていて、活動内容に共感していても、私のようにどう関わっていったらいいのか分からない人が多いのが事実です。関わり方さえ分かれば、地元住民の参加が増えてくるのではないかと思います。

震災が残した爪痕は本当に大きいもので、まだまだ心の傷は癒えません。スタッフさんも地元の人だから、私たちの痛みや悲しみが分かっています。すぐに切り込んでいきたいけど、痛みが分かるからこそ立ち止まることもあると思います。ですが、気持ちを共感し合えるからこそ出来ることもあると思うので、一歩ずつ前に進んでいって欲しいです。

以前、桜で有名な青森県の弘前城に桜を見に行ったのですが、りんごを剪定する技術を応用し、桜を管理していたのが素晴らしく、とても感動しました。桜ライン311の桜も、弘前城のような桜になっていってくれたらどんなに素敵だろうと思う一方で、まだまだ難しい部分が多いのではないかとも思います。桜ライン311には、桜を通して高田でしか伝えられないことを、これから先も伝えていって欲しいです。

高田で生まれ育ったので、私にとって高田は今でも特別な場所です。自然が多くて、食べ物がおいしいです。また、ご近所同士が程よい距離感で支え合っています。

震災時、私の住んでいる地区は、津波によって約60世帯中9世帯しか残りませんでした。私の自宅は無事だったので、避難所として開放し、約20人の方を受け入れました。緊急時に助け合っていける関係を日頃から培っていたからこそ出来たことです。これからも、高田の支え合える土地柄を大切にしていきたいと思っています。

― 皆様にメッセージ ―

1960年のチリ地震の際、津波は来たものの大きな被害は出ませんでした。

東日本大震災の時も「チリ地震の時に津波が来なかったから大丈夫」と思い込み、避難しなかったために亡くなった方もいました。

将来、桜を見た人たちが「桜があるということは津波がここまで来たんだ」ということを実感し、桜が植えられた意図を語り継いでいって欲しいと強く思います。

私たちの世代は、桜が若木の時までしか見届けられないと思います。この先桜が咲いた時、津波で悔しい思いをした人たちが植えた桜だということを、次の世代にも伝承していって欲しいです。さらにその先桜の寿命が来た時、桜ライン311の想いに共感した人たちが、桜の植え替えや手入れをして、もっとずっと先まで伝承し続けていってくれることを願っています。想いに共感すれば、誰かに伝えたいという感情が芽生えると信じています。

1000年に一度の悲しい出来事が起こってしまったからには、1000年先の人たちが悲しまないために、私は今できることをしていきます。

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